ダイラタンシーはテストに出ます

参謀とかブレインとか言われる人が好きな人がだらだらしゃべっています。

愛することとは

お久し振りです、佐藤です。北海道日本ハムファイターズのCS進出の可能性が完全消滅したことに嘆き、水曜どうでしょうの新作に胸を躍らせ、ペルソナ5の新情報にワクワクしている次第です。毎週金曜に加藤さん定点観測できなくなるの寂しい……

 

これらは私が好きなモノの一部でありこよなく愛しています。それらは私の生き甲斐とも言えるべき存在であり、それらを応援したりみている瞬間にふと「生きてる!!」と思う瞬間があります。それは凄く楽しいことで仕方がないのです。そして、言い換えれば「生きることは何かを愛すること」という何ともありきたりな言葉を思い浮かべてしまいます。でも、それは誰しもが思うことだからこそ何度も言われありきたりな言葉となったのでしょう。でも愛することは生きることと同じ様に物凄く難しいことだよなぁとふとした瞬間に思ってしまいます。どちらも楽しいことなんだけどね。

それは物事に対する愛し方が人それぞれであり、愛するものによっても異なるからだからなんだと個人的に思っています。私の鏡月に対する愛と飛行機に対する愛が違うように。私が自担と呼ばれる人達への愛と今読んでいる貴方が持っている自担の方々への愛が違うように。それぞれは同じもの同じ人なのに全然違う感情の何かであって。それはその人の生活スタイルだったり性格だったりその人の人となりだったり様々な要因があるからこそ違いが生まれるのでしょう。その違いがその愛の重さや表現の仕方、それらに対する自身のスタンスというものを生み出し細かい部分で更に違いが出るのだと思っています。そのような違いが色々な部分で滲み出るのが感情という存在であり、その感情の中でも顕著に出やすく触れやすいのが「愛する」というものなんだと思います。このことって物凄く感覚的な話で具体性がないのでわかりにくいしわかりにくいからこそ誰かに共有することが難しい。難しいけれどそれでもその話が色々なことで出てくるのは何か大事な「好き」とか「愛する」という「生きていく」という行為と同意義とも捉えられる感情について話をするときの前提条件であるような気が個人的には思うのです。勿論、それは己のエゴの塊であり価値観の押し付けであることに違いはないのでそれを伝えるのは私の土俵で相撲を取れと言っているような気がして物凄く卑怯なことなのだろうとも思っています。

それでも誰かが物事を愛している姿をみたくて己が何かを愛していると言ってしまうのはそれらがやっぱり楽しくて、生きていると思えるからなのでしょう。物事の愛し方は人それぞれであるからこそ楽しいという部分もあります。愛を沢山伝えてくれるキュートな人、自分の中で温めてじっくり熟成させるこれまたキュートな人。皆何かを愛する姿は個人的には物凄くキュートで素敵で楽しくみえていて。だからこそそういう人を沢山みたいし自分自身もそうなりたいなぁと思うわけです。自分が自分の好きなモノをちゃんと好きと言えるように愛することで己がちゃんと生きていると思えたら楽しそうな気がするじゃないですか。我々はなんだかんだ言って生きていかなくてはいけない。それならちょっとくらいは楽しく生きていきたいよなぁと。

その楽しく生きるための方法の1つとして「何かを愛する」という行為があるはずなのにその行為で何かしらの諍いだったり誰かが悲しい思いや怒りを感じている現状というのは物凄く不完全であまりにも悲しいことではないかなと思ってしまいます。だからこそそういうことがある中でどうやって己が生きていくのかということは多分こうやって己の好きをサクサクと発信ができるようになったという楽しい世の中だからこそ改めて考えてかなくてはいけない問題の1つなんだろうなぁと。勿論、昔からあった問題であるし生き方に関しての大切なことなんだろうけれどそれを考えることの時期の早さだったり問題の複雑さというのはより一層難しくなっていっている気がします。それは自分が何かが好きということは勿論その反対もあるということが関係していると思います。そういう考え方がバラバラな人達がすぐに繋がることができるようになったからこそ誰かの考えがすぐに知ることができるからこそそれを自分の中で噛み砕いて消化する前に反応をしなくてはいけないというか反応してしまうことから生まれた問題の1つのような気がします。多分、我々には圧倒的に時間が足りない。何かを愛することを伝えるにも認識するにも。情報の濁流というのはある意味感情の濁流でもあるわけで。その中で何が好きで何を伝えたくてどうやって愛するのかを決める前にまた新しい何かを決断していかなくてはいけない状況にある気がします。

そういう環境のせいにしていたところで環境がサクッと変わるわけではないのは世の常なのでどうやったら楽しく生きていけるのかなぁと思うわけなんだけれども結局ソレは多分好きなモノを愛して好きなモノを好きと言うしかないんだろうね。