ダイラタンシーはテストに出ます

参謀とかブレインとか言われる人が好きな人がだらだらしゃべっています。

アイドルとハリボテとそれに付随する何か

延々とあげるのを悩んでいてぽそぽそと書き残していたものをようやくあげる気になったので。相変わらず小娘の戯言です。

 

私はよくブログで「アイドルらしい」とか「アイドルらしくない」というセリフをよく使う。その「アイドルらしい」という定義は私の中でとても明確に決まっていて

  • キラキラしていること
  • 誰かを笑顔にさせること
  • 現実をみせないこと
  • 虚構であること

の4つだ。だけれどこれを持っているからこそ良いとかこれらがないからダメということではない。全くの別問題だし、これで判断できるほどアイドルは単純ではない。料理における一種のお手本のようなものだ。忠実に守ることでもそれをアレンジすることでも美味しい料理はできる。それと同じように「アイドルらしさ」がなくてもあっても素敵なアイドルは素敵だ。

 

 

アイドルという言葉の語源は「偶像」である。偶像とは、神仏にかたどって作った像であり、神様そのものではない。確かに信仰、崇拝の対象ではあるが、神様そのものではないのだ。同様にアイドルは一つの物体として実在するものではないのではないかと個人的に思う。確かに「○○」という個人は実在するけれどそれがそっくりそのままイコールで「アイドル:○○」ではないのだ。我々がみている「アイドル:○○」というものは「○○」個人をはじめとした多くの人々によってつくられる偶像であり一種の大きなプロジェクトだ。よく、キャラクターに声を当てている声優さんのことや公式ツイッターアカウントを操作する人を「中の人」というけれどそれと似ている。キャラクターも公式アカウントも中の人だけでは務まらない。同様に「○○」個人は「アイドル:○○」の「中の人」であり、「アイドル:○○」そのものではないのだ。

 

「アイドル:○○」というものは大きなプロジェクトだ。ビジネスだ。商品だ。何十人何百人の大人が必死になって作っている大きな大きな製品だ。我々をワクワクさせてくれる彼らの後ろには沢山の人の努力だったり、苦労だったりが山のようにある。そういうものを糧にしながら不器用ながらにも沢山の人を幸せにしてくれる「アイドル」という偶像は偉大で愛おしい。ビジネスであるのにそれ以上の夢とか希望とかを詰め込んでいる大人はなんてバカで最高でコスパ最悪で夢があるんだろうと思う。そしてそのプロジェクトのフロントマンである「中の人」だって勿論カッコいいのだ。物凄くカッコいい大人だ。

でもそんなカッコいい大人にだって失敗はつきものだ。間違えることだってある。それを許すことができない世の中って人間ってなんて残念でつまらないものなんだろう。間違えない人間なんていないのに。怒る貴方は仕事でミスをしたことがないのだろうか。憤る貴方は全ての試験において満点を取っているのだろうか。「それとこれとは違う」って?そんなことはないんじゃないのか。彼らだって「アイドル」という1つの仕事をしているのだ。誰にだって仕事とプライベートは別物だし、仕事に乗り気になれない日だってあるだろう。なのになぜ「アイドルだから」という理由で様々なことを貴方が制限するのだろうか。何故制限しなくてはいけないのか。我々と同じようにアイドルにだって休みがあって家でゴロゴロしたり、好きな人と遊んだりするのは当たり前のことじゃないのだろうか。アイドルという人前に立つ仕事であっても己を商品とする仕事であっても変わりはないと私は思う。それでもなお、全てを求めようとする貴方は彼らを聖人君子と思っているのだろうか。それとも自分の思うことが全て正しいというか受け入れられると思っているのだろうか。その答えはその人にしかわからない。もしかしたら、その人にもわからないかもしれない。

 

 

確かに私達がアイドルに求めるものなんて千差万別で正解も不正解もなく、自由だ。だけれど求めたそれが全て正しいわけではないし、通る保証もどこにもない。だけれど私達は彼らにそれぞれの「アイドル観」を押し付けてしまう。「こうあって欲しい」「こうじゃないと彼じゃない」。それはただのワガママで自己満足で私利私欲だ。そんな事実は重々承知だし、頭では物凄くわかっているけれどどうしても心から思ってしまう。でもそれは我々が欲望のカタマリである人間である所以だし、それをすぐにやめることはできない。多分、一生やめることはできないのではないだろうか。そしてそれを思うことが許される魔法の言葉がこれだ。「好きだから」。純粋で真っ直ぐで大切な感情であるはずなのにいつの間にかこの言葉は免罪符のようになってしまった。好きだからって相手のことを縛っても良いの?自分の思い通りにできると思っているの?そんなのただの暴君じゃね?おっしゃる通りである。でもそれがまかり通ってしまうのがこの世の中だ。モラルとかマナーとかそういうものを大切にしているフリをしながらでも己の欲望を叶えようとせずにはいられない。そういうのが私達が生きている世界だ。

その事実は残念で悲しくてでもどうしようもなくて歯がゆくて仕方がない。何故なら、誰かを傷付けているその人本人だって傷付いているのだから。誰かを傷付けることは確実に褒められたものでも正しいことでもないけれど私にはそれを止めることはできない。多分、その人を止める術は今現在その人は傷付けることしかないからだ。その人のことを全てわかる人は何処にもいないし、誰もが誰も自分の意見を知っているわけではない。世界は正しいか間違えているかはっきりとわかっているものが実はあんまりなくて、「正しいとは言えないし、間違えでもない」という微妙なものばかりだ。だから楽しいと思う。でもこういう世界だからこそ行き違えて揉めてしまうのだろう。ある人には正しいと思ってしまうものでも別の人には間違いなのだからうまくいかないのは当たり前だ。それをそれぞれが「そういう意見もあるよね~」と受け入れられたら物凄く良いのだけれど。そう思うことを求めてしまうのは先ほど書いたことと矛盾してしまう。だから思っておくことだけにする。言わなくてもいいことなのは十分わかっているのだけれど言ってしまったのは私のエゴで我儘でせめてもの抵抗なのでほおっておいてくれ。

 

 

話は大きく変わるけれど個人的にアイドルというものは「ハリボテ」だと思っている。木組みで紙を張ってつくるアレ。耐久性が無くて脆くて大きな風が吹いたら飛んで行ってしまいそうなアレだ。しかも無茶苦茶キラキラしたヤツ。キラキラしててとても心を惹かれて愛さずにはいられない、そんなもの。それは多くの人を魅了し続けているとんでもないものだ。でもハリボテであることには変わりはない。だから「アイドルなんて居る意味があるの?」と言う人達がいる。そう思うのも当然だ。だってハリボテなんだもの。全くの実用性も機能性もないハリボテはあってもなくてもどっちでもいい。だけれどハリボテがあることが容認されていることってとても素晴らしくて凄いことだと思うのだ。ハリボテが存在していても困らないだけの余裕が多くの人にあってそれを愛することを許されている世界はもっと評価されても良いんじゃないかと個人的に思っている。凄いことなんだよ。

 

そして「ハリボテ」を「ハリボテ」として認識し、ちゃんと「ハリボテ」として愛していたい。それが「アイドル」というハリボテをつくりあげている「中の人」に対しても「ハリボテ」に対しても誠実だと私個人は思うから。勿論、「中の人」だって大好きだ。ただでさえ魅力的なハリボテをさらによくしようと現在進行形で全身全霊をかけてつくりあげている中の人を愛さずにいられない。延々と悩んで時々一部をぺしゃんこにしたりとんでもない部品をくっつけてみたり。そうやってあーだこーだ言いながらつくる中の人は物凄くしんどそうでつらそうで楽しそうだ。物凄く悩んで悩んでそれでもつくることをやめられないのが「アイドル」というハリボテであり中の人なのだ。そうやって作っている中の人達やそれを支える周りの人を尊敬している。

ハリボテだからと言って壊して良いものじゃない。確かにハリボテだ。あちこちに修繕箇所があるかもしれない。どうせ風が吹けば壊れてしまうかもしれない。そんなハリボテだけれど誰にもそのハリボテを壊す資格はない。それは例えそのハリボテをつくった中の人であってもだ。なぜなら「アイドル」は偶像だからだ。「アイドル」というハリボテは生まれた瞬間から誰の物でもなく、誰かの物だ。それはアイドルの「宿命」であり「呪い」だ。いくら中の人がハリボテをつくるのをやめてもそれは変わらない。いつまでも誰かに愛され誰かの希望となるのだ。そんなとてつもないものを誰が壊して良いものか。誰が穢して良いものか。

少なくとも私は許さない。

「ハリボテなんだよ?それを愛してどうするの?」とある人は言うだろう。「そんなものを愛したって何の意味もないのにバカみたい」とある人は言うだろう。でもそれを言われたって私は愛することをやめないし、愛したいと思う。「ハリボテ」なのだからどう思うのは勝手だけれどその意見を他人に押し付けたり、バカにするのは話は違うのだ。何かを否定することはそれを愛している人を傷付けることに等しい。それを自覚しているのかしていないのかわからないが(多分、自覚しているのだろうけれど)そういうことをやるのはあまりにも愚かだ。愚かで醜い。こう思っている時点で私も同じ部類に入るが。リンゴに対して「赤い」と思う人も「丸い」と思う人も「美味しそう」と思う人がいる。その中には「シナモン苦手なんだよな…」と思ったり「なぜ酢豚にパイナップルをいれるのか」と考え始める人もいる。そうやって様々な考えを生み出すのが人間でこの世界だ。漫画家の久保ミツロウ先生はユーリ on ICEに関してこう言った

この作品を現実の皆さんがどのように思われても、この作品の世界の中では絶対に何かを好きになることで差別されたりはしないです。その世界だけは絶対に守ります

この世界もこうなることを私は願っている。何故なら「好き」という感情自体は悪いものではないから。「好き」という感情を持って楽しそうに笑う人はいつでもどこでもとても素敵で美しい。