ダイラタンシーはテストに出ます

参謀とかブレインとか言われる人が好きな人がだらだらしゃべっています。

LIFE!!LIFE ~目の前の向こうへ~!!ライフ!!

LIFE。訳すると「生命」「人生」「生活」。

生きることを軸としているこの言葉は日本語訳にするとどこか重苦しくて神秘的だ。だけど「ライフ」という音は明るさと可愛さを含んでいる。それはきっと発音に濁音が無かったり、口角をあげたりするからなんだろうけれどうまくは言えない。それでもとにかく軽さを持っているのは事実だ。

私はそんな「ライフ」という言葉自体が好きでその名を持つ曲も大好きだ。そして私が大好きな彼らは何の因果か皆この名の曲を持つ。それは運命という素晴らしいものかもしれないし、ただの偶然かもしれない。でもこの現実は物凄く良いことなんじゃないかと思う。少なくとも私はこの事実が嬉しくて嬉しくてたまらなくていつも喜びを噛み締めている。

今日はそんな愛すべき曲の話をしよう。

 

嵐:LIFE

 

 

 

2007年のアルバム「Time」の一曲。名盤と呼ばれるこのアルバムの中でも人気の高い曲であろう。

櫻井さんが出演していたエイブルのCMで流れていた曲というと多くの人が思い出すはず。引っ越し直後であろう部屋で櫻井さんがワクワクした顔で自転車を組むアレだ。あのCMでの組み上げた自転車のタイヤが外れてしまうシーンは本当に秀逸だと個人的に思っている。頑張って組み上げたけれど締め付けが甘くて転がってしまうのもまた一興と思える余裕を生み出す多幸感は新居に引っ越したことで生まれるものでしか感じられない。それを好青年でどこか残念というイメージがあった当時の櫻井さんに物凄く似ていた。そのイメージは櫻井さん自身にとって嬉しいものなのか否かは本人にしかわからないけれど、あのCMは今の櫻井さんでも昔の櫻井さんでもなくあの時の櫻井さんだからこそ手に入れられたものだと思う。そんなこのCMが実は彼が出演しているものの中でトップクラスに好きだったりする。

このCMが放送されていたのは2010年。発売から3年が経ったこの曲が選ばれたのは未だに疑問だ。当時の状況を考えると新たに曲を作ってシングルを出してもおかしくはなかった。だけれどこの曲が選ばれたのには何か意味があるのだろうし、選ばれるだけの魅力があることがこの曲だ。

等身大の言葉で綴られる、どこか納得してしまう歌詞。心にスッと入ってくる優しい曲調。それは当時放送されていたまごまご嵐や嵐の宿題くんでみせる「近所のお兄ちゃん」「ちょっと気になる会社の同僚」というアイドルだけれどそれ以上にアイドルとは別の魅力を感じさせる彼らと重なる。爽やかでどこか暖かいメロディ、いかにもJ-POPな曲調はよく笑いこっそり内輪で楽しむ彼らに本当に似合っている。キラキラした音にあるぬくもりは「嵐」という人となりを映し出しているようでじんわりと胸を躍らせる。でも、それにのせて歌われる言葉達は案外残酷だったりする。新生活を始めたことは自分の望んだことで楽しみであるはずなのに、不安で押しつぶされそうになっている、そんな不条理が日常生活の1シーンである「目覚まし」「ブログ」という言葉を用いて表しているのが素晴らしい。なぜなら等身大の自分が感じられるからだ。否応がにも自分を重ねてしまうからだ。それはアイドルにキラキラを求めている人には嬉しくない状況だろうけれどどうしてもそう感じてしまう。

この曲を聞くたびに眉毛をハの字にしてちょっと悲しそうなそれでいて諦めたような彼らが笑っている姿が目に浮かぶ。背筋がいつもより伸びてなくて髪の毛もカッチリセットされていないただの人間の彼らだ。それはアイドルという偶像ではなくそれをつくりあげる「中の人」の笑みだ。ただの成人男性の笑みだ。と私は勝手に思ってしまう。それらの状況を「遅く目が覚めた 晴れた朝のこと」「君と話していた あの昼下がり」「やけに目が冴えた そんな夜のこと」というはっきりとした時間帯で示しているところもニクい。いつもの何気ない日常でふっと現れる何とも言えない不安。どうにかしようとしてもどうにもできないこの不安を滔々と語っていく彼らはとても現実的で辛そうだ。自分で自分を傷つけているのだから。だけれど、「それでも前を向くしかないんだよ」「どうしようもなくても笑っていくしかないんだよ」というメッセージは物凄く強い。綺麗事かもしれないけれど綺麗事という言葉では隠しきれないほどボロボロで泥だらけで真っ直ぐだ。世の中の汚いところ、醜いところを幾らみようともどうしても希望を捨てきれられないそんなメッセージだ。それが彼らが「嵐」という物凄いアイドルをつくりあげている中の人であるからこそ、あるための言葉のように思えて仕方がない。

 

あの当時、きゃっきゃきゃっきゃと笑いながら船を作り野菜をほっとき鏡の中で笑っていた彼らが「アイドル」という夢と虚構のかたまりを愛し、これからも愛し続けることを感じられるのがこの曲である。

 

 

LIFE ~目の前の向こうへ~

GM~踊れドクターの主題歌。シングルで初めてバンドで行った曲であり、曲名もメンバーが決めた。実は初めてのドラマタイアップ曲でもある。そんな「初めて」尽くしのこの曲はその「初めて」の印象が薄らいでしまうほど力がある。

今まで「関西の面白いお兄ちゃん」という関ジャニ∞のイメージを大きく変え、「アイドルだけれどバンドもできるカッコいいお兄ちゃん」という現在の関ジャニ∞のスタイルになるためになくてはならなかった曲のように思えて仕方がない。とにかく物凄くカッコいい。頭の先からつま先まで全部カッコいい。曲も声もPVも何もかもカッコいい。「カッコいい」という言葉じゃ言い表せないくらいカッコよくて強くて真っ直ぐで関ジャニ∞だ。泥臭くて不器用で諦めが悪くてそれでも歯ぁ食いしばって立ち上がるそんなこの曲は関ジャニ∞のカッコよさを思いっきり詰めて詰めて詰め込んで作ったような曲だ。

 

渋谷さんと錦戸さんのアカペラから始まるイントロ。流れるように盛り上がっていくAメロ、Bメロ。爆発するサビ。その流れはアイドルとして物凄く正統派だし、美しい。だけれど音は確実にバンドの音で歌割りだって渋谷さんがリードボーカルとしてプロフィールに載っていることが手に取ってわかるような歌割りだ。そうやって「アイドル」と「バンド」というバランスをうまくとってギリギリのラインを歩く彼らをこの曲は教えてくれる。

歌詞に出てくる「君」を応援している彼らは物凄くアイドルだけれど「せめてもう一回もう一回」「もう一切、金輪際」と振り絞って歌う彼らは上手く言えないけれどアイドルというキラキラした存在じゃなくてただの人生を一生懸命歩いている男の人だった。「君」を応援しながら自身を鼓舞している彼らはどっちがどっちを応援しているのかされているのかわからないけれどとにかく真っ直ぐで不器用でひたむきだった。その姿はアイドルとかジャニーズとかの枠組み関係なしにただただカッコよかった。それは「関ジャニ∞はジャニーズの分校」とか「ジャニーズと業務提携している松竹の芸人」とか言われていた彼らのジャニーズらしくない雰囲気と相まって生まれたからだと思う。そのジャニーズらしくないところは彼らの強みであり、ウィークポイントであるけれどこの曲においてはその二律背反な事実を全てひっくるめて武器にしている。楽器をかきならしてひたすらに歌う彼らは確かに笑顔で歌って踊るアイドルとは遠くかけ離れているかもしれない。でもそのたたずまいはどう考えても私達が大好きな「関ジャニ∞」だった。かっこよくてかっこよくて仕方がなくて愛し続けている関ジャニ∞というアイドルだった。その姿が「アイドル」という枠組みに入らなかったら今までみてきたアイドルはなんなんだというぐらい「関ジャニ∞というアイドル」だ。

 

「まだまだ終わらないから」という言葉は彼らが「関ジャニ∞」という彼らにしかつくれないアイドル像を歩んでいく宣言のように思えた。白い粉を被りさえずりで延々と笑える彼らの虎視眈々と目標を狙う姿をハッキリと教えてくれた。全力でふざけてわけわかんないことをやって時々しんみりして。そういう彼らが彼らとしててっぺんを奪おうとしていることを不器用に改めて教えてくれる強い曲だ。

 

 

NEWS:ライフ

昨年、発売された「QUARTETTO」の中の一曲。編曲は皆大好き、亀田誠治さん。東京事変のベースの人、フルスイングの編曲の方と言えば多くの人がわかるのでは。そんな彼の手によって完成されたこの曲はわかりやすいJ-POPで王道のアイドルソングだ。聴いている私達を彼らが応援してくれる。その構図は「アイドルとファン」における供給バランスを絵に描いたようだ。その構図はとても美しい。美しくてたまらなくてやめることができない。そんな中毒性のあるこの事実は我々がアイドルに惚れ込んでしまう一因でもある。それを痛切に感じるのがこの曲だ。アイドル万歳。NEWS万歳。

そんなこの曲、一言でいえば「星」だ。物凄くキラキラしている。前述の二曲にはないアイドルらしさ満載のキラキラだ。そのキラキラは満天の星空とどこか似ている。NEWSというグループは本人達が口にするほど「星」にまつわる曲が多い。再出発の曲が「星をめざして」なのだからそれこそそういう星のもとに彼らは生まれたのだろう。この曲だって「澄み渡る空に無限の星の数」と歌っている。星の光は我々が見る何十年前に輝いたものだ。その光が何百何千何万という数えきれない距離を走り抜けて我々の網膜に届く。それは何年もの前に笑っていた彼らをみて我々が勇気づけられる現象と同じだ。

「地平」とか「光」とかの言葉で飾られるこの曲は地球を世界をただただひたすらに走っている彼らを思わせる。世界に取り残される恐怖を抱きながら世界を追い越して走る彼らは真逆のことをしているようにみえる。だけれどそれは彼らの思考回路では繋がっているのだ。=ではないけれど≒ではある。そんなことを平気で笑顔で言うのが彼らだ。

一度走ることをやめざるを得なかった彼らだからこそ、走ることの大切さを知っている。だから走る。走って走って星を掴みに行くのだ。地球は丸いからいつのまにか元居た場所に戻ってしまうけれど、でもいつか走り続けたら重力なんかから解放されて星を掴みに行けるんじゃないか。そんな考えは「死」に抗う人間のようだ。一生懸命生き続ければ死ぬことはないんじゃないか。「どんなものもいつかはなくなってしまう」。その事実はわかってはいる、わかってはいるけれどそれでも生きることを諦めることができない。そういう人間くささを感じさせる。その姿は幾度も立ち止まらなくてはいけなかった彼らがどうしても「NEWSであること」「アイドルであること」をやめられない彼らの姿が重なってみえるのは私だけだろうか。「一度死んでまた生き返る」そう歌っていた彼らが生きることをアイドルであることをやめられない、やめたくないことを痛切に感じさせるのがこの曲だ。

 

 

神秘的な「life」という言葉を名に持つ彼らの曲は何故かどれも人間くさくてガムシャラだった。それは「アイドル」という偶像が人の手によってつくられている事実とどこか似ている。ただただひたむきに真っ直ぐに一生懸命に歩く彼らにとって「生きること」と「アイドルであること」は同じことなのだろう。どんなに大きくなっても強くなっても「アイドルであること」に強い執着があって諦めが悪くて必死な彼らはとてもとても魅力的だ。大好きだ。「ファンは応援しているアイドルに似る」と誰かが言っていたけれど実際にそうなんじゃないだろうか。だから私も人間くさく、諦めが悪く、彼らのことを応援し続けようと思う。